瑞泉院は、開基が新田義貞公になっておりますが、檀家の皆様から「方丈さんは、義貞公と関係があるの?」とよく聞かれます。31代目住職が開基と同じ姓ならば、皆さん当然その質問をしたくなると思います。 新田義貞公は、鎌倉末期から南北朝の混乱の時代にあって、足利氏と並び武家を統率する力のある家系であった新田家の当主で、足利尊氏の対抗馬であり、好敵手でもありました。誕生の地は、上野国新田荘(にったのしょう)(現群馬県太田市)で、「由比ヶ浜の戦い」で鎌倉幕府を討幕後、最後は「藤島の戦い」で37歳で戦死したとされております。
瑞泉院の紋は、丸に一本引きですが、これは新田家の紋に由来します。足利市内120程のお寺がありますが、ほとんどが二本引きの足利家の紋で、新田家の紋は瑞泉院だけです。瑞泉院の本寺は太田山金龍寺で、開基は同じ新田義貞公です。 どうして足利の地に新田家開基の寺ができたのか、いまだに分かりませんが、私のご先祖さまも上野国新田荘の出身であると推察されます。28世覚成和尚から新田の姓を名のり私で4代目ですが、覚成和尚の先祖が新田荘出身であり、遠いご先祖様は、新田義貞公と何らかのつながりがあるといったところでしょうか。