離れ山と嫁子道

足利市 離れ山と嫁子道
瑞泉院団参の旅

当山、観音堂(西国三十三尊観世音菩薩)がある場所は山(丘)となっており「離れ山」と呼ばれております。上図にある「内郷山」と、この「離れ山」は昔つながっていたと言われます。大昔、渡良瀬川の洪水氾濫により、内郷山と離れ山の間が流されてしまい平地となってしまったことにより「離れ山」と呼ばれたとのことです。当山は大岩村より1500年代に現在の地に移り、その時すでに現在の離れ山と呼ばれていたということからも、大昔の洪水という災害はそれ以前のことだと考えられます。



足利百名山 98番 離山



足利市 嫁子道

当山墓地境内沿いの道を「嫁子道」と呼んでおります。これには「離れ山」が関係しております。内郷山と離れ山は同じ山でしたが、洪水によりその間が流され、内郷山と離れた山が「離れ山」になったということから、言い伝えではありますがこの間を通ると夫婦が別れると言われ、戦前位までは婚礼行列がこの間を通ることなく、わざわざ遠回りし離れ山(当山)の南側を通っていったのです。そのようなことからこの道を「嫁子道」と呼んだということです。


足利市 首無し地蔵

毎年8月24日午前10時に東山地蔵尊大祭(...地蔵菩薩の縁日)が開催されております。 これは足利市五十部町字東山地区の自治会・育成会が中心となって行われているもので、「首無し地蔵」のお祭りです。昔大岩村(現大岩町)の武士小林平内がお地蔵様の祟りを恐れて、竹の刀でお地蔵様の首を切り落としたところ、自宅の名刀正宗の刃がボロボロにこぼれていたという伝説です。 このお地蔵様は毎年8月24日がお祭りで、瑞泉院住職(副住職)読経のもと、町内の大人たち・子どもたちが集います。
(PDF地蔵菩薩の縁日)


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